絶対安全剃刀乙女

思ったことを書き連ねるブログです

死ねないことに気付いて 当たり前にたそがれて

こんにちは
syrup16gのサブスク解禁されました!!

その上にアルバム一つ一つに関係者からのコメントやファンからのコメントを受け付けており感動しました…。

佐藤さん(元シロップのベース)のコメントとキタダさんのコメントと中畑さんのコメントには、ちょっとグッときてしまいました。

パープルムカデのタイトルの由来はずっと誤魔化されてきたので、実際はなんともほんわかした理由で笑ってしまいました。

ファンの方々のコメントも熱量がすごく、そのとおりなんですよ!言語化が絶妙すぎる…!と言いたくなるものが多く、自分の体験とシロップの音楽を照らし合わせている人や、音楽的な分析をする方や、とにかく愛に満ち溢れていて、レビューサイトを見ているだけで脳内麻薬が出まくって、サイト開設の日は眠れませんでした。


少し話は変わりますが、前回の記事(シニタイヤツハシネの記事)で、繊細なネット社会になりましたよ…と嘆くようなことを書いていましたが、あれは意見を全く聞かない同士で意見のベイブレードをする人たちについて思ったことなので、事件にまつわることとはあまり関係ありません。

あとネットで意見を戦わせるぐらいなら、散歩にでも行ったほうがマシだなと思う。(という意見の押し付け…)

ツイッターの騒ぎについて思うことは、前も書いたのですが、自分自身を否定も肯定もしないで、なるだけ違う人間を自分の中に存在させるというのが良いのではないか?…と私自身にも、ツイッターで怒る人にも言えるなと思います。

タイトルの「死ねないことに気付いて当たり前にたそがれて」という歌詞はsyrup16gの曲からなのですが、今の一億総死にたい社会にピッタリだと思うんですよね。(I can't )change the worldという曲です。

突然の曲語りします。

最初の「死ねないことに気付いて当たり前にたそがれて」と、死ねないことすら予期していて、かつ、その後にたそがれることすら当たり前だよな…と恐ろしいほど自分を冷たく客観視しているフレーズからするに、サビの「広い普通の心くれないか」という歌詞に対しても(普通ってなんだよ、広い心があれば救われるのかよ)という客観視をしててもおかしくないと思うんですよね。

最後のあたりで「人は何を望めばいい全てを失ってもなお」という歌詞があるのですが、結局は「広い普通の心」を望んでいるのではなく、とりあえずの嘆きとして何度も繰り返し祈りのように唱えられているだけなのであって、本当に自分の問題を解決するために必要な望みではないのでは?という意味も含んでいるのだと思っています。

自分も世界も変えられない、と嘆いて「広い普通の心」なんていう嘘くさいものにすがるしかない状況を、とても冷静かつ、重々しく扱った素晴らしい曲だと思います。

最近のツイッターを見ていると、「余裕が足りていない」だの「常識的な人は〜」だの「変えなくてはいけない」なんて言葉をよく見かけるのですが、それが本当に必要なことなのか?と、この曲を聞くたびに思うんですよね。

何を望めばいい?という自分の個人的な望みすら誰かに希求してしまう現状、というのは中々に抜け出せないものなのですが、この曲を聴くと、なんでかわからないですが、広い普通の心くれないかと思いつつ、狭い自分の心に対する甘めの目線を持てるようになるのですよね(私の個人的な感想と解釈です)

syrup16gは基本的に、自分に厳しいことを言っているようで、厳しくしてしまう自分をも、まぁそんな自分も居るよね…と甘く許容してしまう部分が「良くも悪くも」持てるようになる作品が多いと思うので、「一人でしね」という言葉に少しだけ共感しつつも、自分自身としては、何でこんな目に合わなきゃならないんだよ本当は死にたくなんてないんだよ…と思っている人はぜひ聴いてほしいです。

何か1ミリでも響くものがあれば幸いです。
あなたも患者になりましょう…。

という布教ブログはここらへんで終わりにします。
相変わらず文章が下手すぎる…。

ではまたブログで