日常に生きる少女
おはようございます
お久しぶりの更新になります。
残念ながら生きてます。自分の作った自分の世界の中にこもって生きてます。
一つ前の記事はかなり前に書いたやつをあげただけなので、今の私の心境とは違うかもしれません。
最近は本当にぼちぼちやっております。
毎日毎日どうやってこの先、生きていこうという不安にかられそうな気持ちを抑えて、やれることをやろうと思いつつも、欲に負けてダラダラと堕落した生活をしたり、医者に通ったり、めちゃくちゃなことを繰り返してます。
ブログを書いてない間にたくさん書きたいことがあったのですが、ありすぎて書ききれないので辞めておきます。
最近は音楽をあまり聴いてません。
というか音楽を聴いても何も感じないようになってしまった(そういう薬を飲んでいるため)
でも少し前にニコ生でシロップのライブ中継を見てて、イマジンを聴いた時に、ナンバガの日常に生きる少女を思い出して、すぐさまYouTubeで聴いてしまったのですが、日常に生きるって難しいよなと痛感しました。
イマジンは日常に生きる情景を憧れる男の歌なんですけど、日常に生きる少女は、自分は音楽の世界で生き少女は日常に生き、それを正しいと歌うことで、正しい生き方と自らの人生の空疎さを叫ぶという解釈をしております。
どちらも日常に身を置けていない人生を生きるのってつれぇ〜という曲だと思っているのですが、最後にイマジンはすべてを美しいと肯定し、日常に生きる少女は最後に空気の冷たさに気づくのです。
これって、日常に生きているということでは?今を、瞬間を生きているということでは?となるし、日常に生きるということは、概念や思想や空想やその他もろもろの雑念をふっとばして、今、感じられることをそのままに感じ続けるということの繰り返しなんだよなと思います。
というようなことを小沢健二の新曲を聴いていておもいました。
そんな感じです。では