絶対安全剃刀乙女

思ったことを書き連ねるブログです

これは冗談じゃねぇ 戦いの歌だ

こんばんは
相変わらずタイトルのチョイスが中二サブカル女丸出しですみません。でもパワーインザワールドいい曲なので聴いてください…。


とりあえずタイトルは今回のテーマにしたいことと繫がっているのですが、戦う歌とsyrup16gを語るために、よくブログに出てくる大森靖子エレカシ神聖かまってちゃんあたりを絡めて文章を書き散らしていこうかなと思います。読んでいただけたら幸いです。

戦いの歌と書きましたが、エレカシと言えばファイティングマンやパワーインザワールド
やとにかく戦え!と歌う曲が多いですよね。作詞作曲の宮本さんが何と戦っているのかというと、「地元のダンナ」の歌詞を見ればわかるようにいろんなものと戦っているのですが、根本としては社会(社会で生きる自分)vs(それに負けそうな)自分という構図が多めだと思っています。

次に大森靖子さんに関しては「女の子」として戦っている超歌手です。とにかく頑張っている女の子を応援したり(絶対彼女)や世間の価値観に疑問を呈する曲(マジックミラー、死神等)が多いですね。

次に神聖かまってちゃん、の子さんは自分の曲を日記と言っているのですが、の子さんの戦っている相手はあまり明確ではないのですが「昔のトラウマ」であったり「理不尽な境遇、運命」のように思える曲が多いと思います(夕方のピアノや学校に行きたくない等)

それで本題のシロップなのですが、何と戦っているのか本当にわかりにくいバンドだと思います。社会批判をするでもなく、既存の価値観を違うと言うわけでもなく、トラウマや境遇を嘆くわけでもなく、むしろ社会に適合しろよ、無理して生きてることもないよ、なんなら逃げでもいいよ。とまで歌っています。

それを傍から見たファンでない人は、甘ったれてるなぁとか、何に文句を言いたいんだよとか、お前のことなんて知らねぇよとか、○にたいなら○ねよとか(こういう書き込みをネットでよく見たので)思うかもしれません。

私も初めてシロップを聴いたときは、この歌っている人は何がいいんたいんだろう。何が苦しくてこんなだるそうでイライラとした音を鳴らしているのだろう…。と思いました。
(ちなみに高校時代に生活を聴いてそう思った)

シロップは生活のぼやきを綺麗なメロディーに乗せているんだ。別に言いたいことがあるような音楽ではないのだ。という意見もあるかもしれませんが、私はシロップは明らかに戦っているバンドだと思うのです。


何故かと言うと、再結成してからの曲の歌詞が明らかに意識的に変化しているな(謎の上から目線)と思えるからなのですが、じゃあ何が変化していて、何と戦っているのかというと、上手くコントロールできない自分自身だと思うのですよね。(ここがメンヘラ御用達と言われる所以だとは思うのですが…)

その上手くコントロール出来ない自分自身というものは、誰でも少なからず持っていると思うのですが、シロップは、とにかく視点(人称)の定まらない歌詞の曲が多いというか、詩的と言えばそうとも取れるのですが、そうではなく、自分の中に居る常識人やエゴや本能やらが混乱している状態を上手く表現しているものなのでは?と思えるのです。

例えば「手首」という曲があるのですが、最初に「くだらないこと言ってないで早く働けよ」と言ってくる人がでてきます。次に「ぬるい生活に溺れる魂よ それにまたしがみつくのさ」という言われている側らしき人の、やや客観的な主観が歌われます。
そしてBメロ(でいいのですかね)で「一生懸命生きている私にどんな罪があるんですか?」と突然の悲劇のヒロインが出現します。
そのあとに「いっぱいあるさ〜ていうかお前はなんでそこにいる」と詰める人が出てきます。
それでさっきの悲劇のヒロインらしき人が再び「そんなん言われても手首切る気になれないなぁ」と甘えたことを言います。

とりあえず曲を聴いて貰えればわかるのですが、この曲は登場人物が沢山いるのではなく、自分のなかに居る甘えた存在と、それを叱る常識的な存在と、客観的にみた自分を淡々と語る存在が出ているのだと思えます。

シロップの曲はデイパスにしても、明日を落としてもにしても、自分なのか他人に対して歌っているのかわかりにくい(わかりにくくしている)曲がいくつもあります。

そこで突然の心理学用語なのですが、心理学には自我境界という言葉があります。エヴァなどで聞いたことがある人はいるかもしれませんが、自分と他人との境界線ということです。「自分は自分、他人は他人」という感覚といえばわかりやすいかもしれません。
それは何に関係があるのかというと、この自我境界が曖昧な感覚を表現されているものがシロップの歌詞には多いと思えるのですよね。

とりあえず自我境界が曖昧になる理由は色々とあるので割愛しますが
「特別何があったというわけでもないが何となく生きづらい」と感じる人は割とこの自我境界が曖昧な人が多いのでは?と思います(私がそうなのですが…)

シロップの曲では、現実で他人に言われるような言葉(例えば常識的な価値観であったり、意地の悪い言葉であったり)を自分自身が自分自身に言っていることが多いです。

これは自我境界が曖昧な人にありがちなことなのですが、人の意見を自分の意見のように取り込んで、それをさも自分の意見かのように考え受け止めてしまうことがあります。
それから、自分の意見が相手にもわかるはずだから細かく言わなくともわかるだろう。という考えがあるので、前提条件を端折ってしまうというものもあります。

それでいうとシロップの歌詞には、ふんわりとした命令や疑問や謎の概念を語るようなものが多いのですが、何かを命令したり聞いている自分は世間の価値観に即した自分であり、それも自分であり、聞かれて困っている自分も自分なのだという自問自答の歌詞が特徴的であり、自我境界の曖昧さからくる自己矛盾や混乱を歌っているのだと解釈すると理解しやすくなる曲が多いのです。

話を戻しますが、シロップは戦っているバンドだと書きましたが、彼らが戦っているのはこれだ!といえるものではないのですが、混沌とした世界や自分のわからなさ。不安さ。自分という存在。なのではないですか?
みたいに書くとちょっと大げさかつ恥ずかしすぎるのですが、実体の掴みにくい生きづらさと戦っているバンドだと思うと納得できるかなと思います。

書いていて意味がわからなくなってきました。たぶん読んでも意味がわからないと思います。駄文長文すみませんでした。

ここらへんで終わりにします。
またブログで