絶対安全剃刀乙女

思ったことを書き連ねるブログです

自分らしく

こんばんは
だんだん書くスピードが落ちてきました。

今回はちょっと性別の問題について思うことを書いてみます。

少し前からですが最近のトレンドといえば、LGBTMeTooや中性的なジェンダーがありますね。

私は性別的には女なのですが、特に女らしい格好が好きではない(化粧は嫌いではないです)というレベルのよくいる女らしくした自分を嫌う人です。

あと性別のことで悩む人は、小さい頃から一人称の問題が発生すると思うのですが、私幼稚園の頃は自分の名前で自分のことを呼んでいたのですが、小学生に入り切り替えるときに上手くいかず、一人称が「自分」になってしまったんですよね。
自分のことを「俺」と言っている男らしい女の子と仲が良かったのもあってか、自分のことを「私」と呼ぶのに引け目を感じてしまい、未だに気を抜くと「自分は〜」と言ってしまい、軍人か体育会系の人のようになってしまいます。
男性の場合は俺と僕があるので、もっと悩むのだろうなと思います。

ちょっと話がズレてしまいましたが、「女らしく」「男らしく」の問題について考えてジェンダー論の本を読んだりフェミをかじって少し嫌になったりしていたのですが、この「〜らしく」という枠を嫌う人が多いのですが、むしろ私はアニメにしてもアーティストにしても「男らしいなぁ」と思うものや「女の子らしいなぁ」と思うものが割と好きで、「○○らしい」の枠の中で頑張った上で、そうでなくなる(枠から外れる)人が好きなんですよね。

ジェンダー関連の意見を見ていると、この「らしさ」を異様に嫌っていたり、合わないと言っている人が多いのですが、むしろ枠にはめられて嬉しい人なんて居るのか?とも思うし、しっくりくる枠なんてそもそもあるわけないんですよね。

そう考えると、らしさの枠に嵌った上で、その人らしさが発揮するほうが難しい道を行っているし、それが出来る人というのは本当に芸達者なのでは?とも思います。

らしさの枠は別に性別に限らないのですが、らしさを勝手にあてがわれて、勝手に偏見の目で見られる世の中ですが、それを見ている人たちなんて正直、私にとってどうでもいいので、自分がしたいようにやれば勝手に偏見をアップデートしてくれる人もいると思いますし、更新できない人はどうせ置いてかれる
ので放っておきます。
要は、らしさに必要以上にこだわる必要はないですね。という話と、勝手にらしさを押し付けて色眼鏡かけて見てくる人たちはどうぞ同じ場所に居てくださいという話です。(もちろん、私自身も「らしさ」や色眼鏡をかけていたら気付いてアップデートしていかないといけないですが)


また、書きたいこと出てきたら書くようにしようかなという感じです。
では、次もブログで会いましょう

ゆーワケで せっかくだし 悪いけど続くよ

こんばんは
だいぶ遅れてしまいました。
書きたいことはだいたいTwitterの鍵アカウント内で書いてしまう上に、読み直したら心底どうでもよくなってくることばかりなので、書きたいことないなぁ…と思ってしまってます。でもとりあえずブログやったので、続けます。

書きたいなーと思ったこと。
最近やってるDAOKOの曲が使われているイヤホンのCMに思うことと、さらざんまい一話を見ていて思ったことが似ているなというぐらいですね。

DAOKOのNICE TRIPの「どうしようもない私達 慰めあいませんか? 誰でもいい この中に 同じ気持ちの人はいませんか」という部分が使われており、さらざんまいでは「つながっても、見失っても、手放すな、欲望は君の命だ」というキャッチコピーがあり、どっちもSNSをもろに意識していることはわかります。

NICE TRIPの歌詞はここだけ取り出すと「病みアカ」や「#似たような人と繋がりたいタグ」や「ラブりつお願いします」や「裏アカ(これは直接的すぎるのであまり詳しくは言いませんが…)」を彷彿とさせてしまうのですが(これからわかるように私はTwitterキモヲタです…)この前の歌詞のほうが重要で、ここだけ切り取ると不健全なインターネッツ文化しか見えてこないんですよね。

でも、このCMに最近話題になっていた銭湯の方が出演していたらしく、まさにインターネットの気持ち悪いところ(炎上、パクツイ、トレス、etc...)が詰まっており、CMが目指していたであろう「繋がりたい」という気持ちが裏目に出てしまったようで、なんとも悲劇的だなと思いました…。

さらざんまいは、多分ですが、その先(というか、さらざんまいを見た人はDAOKOのNICE TRIPの歌詞を見てほしい"慈愛の連鎖が生まれていかないのはなんで"とかピンドラを思い出します)をやってくれると思っていて、何で繋がりたいのかとか、繋がりってそもそもなにでなんのために繋がってるのか?とか、インターネット文化をかなり皮肉ったり、面白く他のものに例えて展開されていくと思います。違ったらすみません。

欲望や搾取は物語の根幹の部分だと思うのでまだ何とも言えず触れたくないのですが、インターネットとしりこだまを抜かれてカッパになる(生きているのに死んでいる=ゾンビ)という題材が今風感を露骨に出していて、DAOKOのイヤホンのCMと同様、インターネット大好き民として、嬉しくもあり、これからグサグサと刺さる部分もあるのだろうとも思い、何とも言えない気持ちになりました。

私、DAOKOさんについて、さもファンかのように書いてしまいましたが、イヤホンのCMでその曲を初めて聴きました。
やはり音楽とアニメって良いものですね…。
見事に搾取されています。

終わり

また明日ブログで会いましょう。

なんでもいいよって言うけど

こんばんは
まだ数日目ですが、すでに何を書こうか迷いが生じてきました…
タイトルは何の歌詞でもないようにしました(調べたらあるかもしれないですが)

よくある話ですが「何でもいいよ」と言うので「これにしよう」と言ったら「いや、それはないでしょ」って言われて、「何でもいい」って言ったじゃん…!という気持ちになるアレの話です。

その「何でもいい」の代わりに「生きてるだけで丸儲け」とか「ナンバーワンにならなくてもいい」などの言葉が入ってもいいです。

結局そうは言ってるけど、相手が要求している答えを忖度しなきゃいけないじゃん!っていう理不尽は誰でも味わったことあると思います。そこから、「ケッ何がオンリーワンだよ」とか「生きてるだけで丸儲けなわけねーだろ」とか正直に捻くれる人もいると思います。それか「オンリーワンだって思えばそうなんだ」とか自己暗示に入り込んでいる方もいると思います。
別にどれかが正しいとか間違っているとか言いたいわけではないです。
ただ私が思ったのは「何でもいい」「生きてるだけで丸儲け」「オンリーワン」とかの綺麗事と言われてしまうような言葉に対して言えるのは、その時、それを受け取った人の具合がどうかによって変わるよね〜って話だけです。

そんなこと言ったら元も子もないっちゃないんですが、実際、そんなもんだと思っています。人は気分も考えもコロコロ変わるものです。私だけでしょうか(だいたひかるではない)すみません。主語が大きすぎましたね。

なんでこんなこと思ったのかといいますと、「夜明け告げるルーのうた」を観てて「歌うたいのバラッド」がいい感じで使われていたのですが、この曲は、ルーのうたで素直になれない主人公が成長して、素直に思いを告げるという形で表現されていて、曲自体も色々とゴチャゴチャと自分に納得させるようなことを歌ってから最後に素直に「愛してる」と告げる作品なんですよね。

それで、その後に大森靖子の「絶対絶望絶好調」の歌い出しの「愛してるなんてつまらないラブレターマジやめてね 世界はもっと面白いはずでしょ?」という部分を思い出してしまい、せっかく素直に勇気を出して言った言葉も、曲も、映画も、一瞬にしてクシャクシャになったのですが、別にこのセリフはクシャクシャにしてるいるわけではないのですよね。

「絶対絶望絶好調」という曲は「歌うたいのバラッド」と逆に好きだったけど嫌いという心情を歌っていて、結局はこの繰り返しが人生なんだよなぁ…などと悟ったようなことを思ったわけです。

その好きと嫌いの繰り返しだよなぁ…という思いから、ひねくれと素直の繰り返しだよなぁとも思い、否定と肯定、破壊と創造、等と高尚ぶったことを考えてみたのですが、結局は覚悟の決まらない私自身の問題だということに納めたのですが、そんなみんな覚悟を決めて矛盾のないように生きれている人ばかりではないですよね。(と思いたいだけ)

昨日、シロップの魅力について書けなかったのですが、後から思ったことは、死にたいと生きたいの葛藤というよりも、波といったほうが近いなと思いました。

筋の通った人とか、ブレない人はかっこいいと言いますが、確かにそれはこういったブレブレな人間の本能からしたら、仏みたいでかっこいいも言われるのは理解できるのですが、実際は人って根本はそこまでブレないもので(頑固だったりテキトーだったりの性格って簡単に変われないものですよね?)外側の発言や、やり方などは変わっていくのが当然というか、道理なのでは?と思います。

私も、覚悟を決めて一つのことをこれだ!と言う人はかっこいいなと思います。
しかし、実際はそうでないから面白いとも迷惑にもなるわけで、それを面白がるほうが楽なのかな〜と思ったりしました。


なにか一つ、もしくは頑なに守る自分なりの信念というのは必要だとは思いますが、それにこだわりすぎるあまり、自分との約束を破らないために躍起になっている人を見ると、辛くなりますし、私も自分との約束を破らないために頑固になっている時ほど無駄に動けなくなります。

なので、今回のブログで言いたかったのは、人の気持ちや考えや、受け取り方なんてものは、その場その場で変わるものだし、それに真実とか信念とか難しいこと考えているとしんどいよな〜みたいなことでした。
「いや、こだわることで自分の人生は意味を持つのだ!」という人の意見を否定しているわけではありません。
というか、私もそういう一貫している人のほうが素敵だとは思います。
しかし、私自身としてはそこまで律儀に生きることが出来ないし、そんな自分を許してしまえよ!と思っただけです。
似たような人が居たら、そんなコロコロ変わる自分を許してしまうというか、面白がってしまうのもアリだよね。と言いたいというか。余計なお世話かもしれないですが。
とりあえず、信念より先にやることやって、自分のやったことの言い訳もしないで、流れに身を委ねてしまえ〜と「今は」思っている。という話でした。

おしまい。
もうめちゃくちゃ眠くなって来たので寝ます。
また明日ブログで会いましょう。

拾った言葉吐き出して愛されたいの

こんばんは
三日坊主はまぬがれましたね。やったー。
偉い。小さなことでも自分を褒めていきます。この誹謗中傷が飛び交い余裕のない人たちが目をサンカクにして人の駄目なところを笑いたがるネット社会では重要なことですね。

それはさておき、タイトルまたsyrup16gです。ニセモノという曲の歌詞です。

syrup16gはメンヘラ御用達バンドみたいなことを言われがちなのは重々承知ですけど、それだけで終わらせてしまう感性しか持ち合わせていない人はちょっと待ってよと思います。

昨日も書きましたが、偏見は誰にでもあるものだし、持ってしまうのは仕方ないと思いますが、それを自覚して、こんな偏見を持ってるけど、実際はどうなんだろう?という目で何でも接していくようにしないとすぐにバイキングとかスカッとジャパンを見るような人間になってしまいますよね(偏見)


とりあえず今回はsyrup16gについて今回は書こうと思います。
syrup16gは日本のバンドなのですが、そこらへんは各自、目の前の機械で調べてください。
調べましたか?なんか暗いな〜とか思ったあなた!どうして暗いと思ったのか書いてみてください。そもそも暗いとは?あなたがどうしてそう思うのか、借り物でない(メンヘラとか病んでいるとかじゃない)言葉で表現してみてください。
とか書いてますが、まぁシロップは世間一般的な価値観で語ろうが、個人的な価値観で語ろうが暗い部分を主に出しているアーティストだとは思います。でも、それだけでなく他の部分にも、もっと魅力があるよ〜って思ってほしいということです。
私がもし最初にオススメするとしたら曲単体なら「明日を落としても」で、アルバムならCOPYかなぁと思っているのですが、理由としては、シロップらしさがあるから…という。
シロップらしさってなんだろうと考えたら、たぶんそれぞれ感じるところは違っていて、その「らしさ」に惹かれているのだろうなぁと思ってしまい、自分の浅さを知られるのだろうなぁと思い書くのが恥ずかしくなってしまいました。
でも勇気を出して書くとしたら(他人からしたら見当違いかもしれませんが)バンド名の通り、甘ったれたい(甘ったれてはいない)自分とそれを許さない世間や世間に飲み込まれて生きている自分との葛藤みたいなものを主に歌っているところが、私は好きです。
いや、葛藤を歌っているアーティストなんてたくさん居るよなぁ…とさっそく思ったので、それだけではないと思うのですが、表現力の無さ…!悔しくなりますね。また後で良い表し方を思いついたら書きます。あとは生活感を感じる歌詞とふざけたダジャレのような歌詞のハイブリッド感も好きですね。

曲としては、音楽のことを語れるほど知らないのですが、ネオアコ系(スミスとか日本なら最近再結成したナンバガ)のコード感と、AメロBメロサビと定番の曲構成にならない曲が結構あるのが特徴なんですかね〜わかりません。
とりあえず開放弦(ギターで抑えていない弦を弾くことです)の響きが好きと作詞作曲をしている五十嵐さんがインタビューで言っていたのですが、透明感のある、スピッツとかも近いのですが(というかナンバガスピッツもシロップもリアルタイムで影響を受けた海外のバンドの音作りが近いのだとは思います)サウンド的にはそういうところが好きです。

魅力を語ろうとしているのですが、なかなか難しいですね。

音楽スタイルとしては、ロキノン系というか、音楽で自分のことを発信していきますよ〜という自己表現型のありがちな感じではあると思うのですが、そうだとしてもものすごく正直だな…と思う部分が多いです。タイトルのニセモノも「拾った思い吐き出して愛されたいのまだ」なんて堂々と歌い上げる内容ではないですよね。しかもそれで開き直るわけでもなく、ただニセモノだと言って解散してしまうという正直さ。
どうせみんなズルしてんだから開き直っちゃいなよ〜など思えない(思いきれなかった)のかなぁと勝手に邪推していますが、まぁ本当のことなんてわかるはずもないですが。

再結成した後にも「本当のことばかり言う人を信じない 偉い人の言うことは一つ 使われるな馬鹿を騙せ」と歌っています。正直としか言いようがない…。それも人を素朴なことを言って笑わせようとか裸の王様だと気づかせようとかそういうてらいもなく、ただ自分自身納得できず釈然としないから歌っているだけです。という印象を受けます。と勝手に思っているだけですが。

自分に嘘をついてないと生きていけないものですが、その嘘をつくことに対しての欺瞞や相手から騙していることへの罪悪感やらを許せないんだなぁというところにも魅力を感じるのかもしれません。

「白黒つけるのは恐ろしい切実に生きればこそ」と椎名林檎も(英語で)歌っていましたが、まさにそれを地でいってると言えばいいのでしょうか。簡単に言えば人間くさいという言葉になりますが。便利な言葉ってあまりつかいたくないですよね。何かを言い切ってしまうことで、そこからこぼれ落ちるものを無視しようとすると相手にも上手く伝わらず、かといって短くしないとそもそも読んでもくれず、まさにシロップはそういうモヤモヤの部分を上手く掴んで歌にしている気がすします。特に再結成後のものは。前より言葉遊び多めに見えて割と真面目というか。

だんだんファンじゃないとわからない感じになってきてしまいました。ファンでも、いや違うだろ。と思うことばかり書いてしまったかもしれません。
そもそもの話ですが、何らかのものに魅力を感じるときに、自分にあるものや似たものを好きになる人と、自分に無いもの新しく感じるものを好きになる人という傾向があると思うのですが、私は断然、前者なので、何かの魅力を語るとなると、結果的に自分に寄せて話してしまう、隙あらば〜な人になってしまいます。
なので、とりあえずまだまだ書きたい部分はあるのですが、シロップはこういう音楽のバンドだよ〜というのと、ここが好きなんですよ〜ということを書き連ねてみました。

結構長くなりましたかね?
では、また明日ブログで会いましょう

歌詞なんているのか

こんばんは
「毎日ブログを書きたいな」などと呑気にも昨日の私が書いてしまったばかりに、約束を守る律儀な今日の私が今日のブログを書いています。

タイトルを思いつきでテキトウに決めてから、今日のテーマを考えているのですが「歌詞なんているのか」は神聖かまってちゃんの曲の歌詞です。
なんでこれにしたかというと、無題にするのもつまらないが、変に凝るのも嫌だし、テーマもないし、タイトルなんているのか?と考えていたら、その歌詞が浮かんできたのでタイトルにしてしまいました。安直です。

前にも書きましたが、私は名前やタイトルを決めるのがとても苦手です。あと人の名前と顔を覚えるのも苦手です。大学受験で「日本史は漢字が多く長ったらしい人名を覚えなくてはならないのが苦痛」という理由で世界史を選んで、結果カタカナの名前も覚えられず、無事模試で7点を取り爆死したぐらい苦手です。歴史が。いや人名を覚えることが。いや、決めることが。

ペンネームやハンドルネームなどいちいちサイトのアカウントを登録するたびに決めなくてはいけないネット社会。
本名はあまりにも無防備だし、変に凝った名前は恥ずかしくなるし、テキトウだと自分でも忘れてしまうというめんどくささがありますね…。

関係ない話ですが、小学生の頃に自分の名前の由来を聞いてくる授業ってありましたよね。
それで私はシンプルな名前なので、シンプルな答えが返ってきて、少し落胆したのですが、最近の難しい漢字だらけの子どもたちもあの授業やっているのでしょうか?

それはともかく名前はやはり大切ですね。タイトルも歌詞も大切ですね。でも「歌詞なんているのか!」と逆ギレしちゃうぐらい混乱してて決められない時につけた名前とかって結構、長持ちしますよね。他人に由来を聞かれても恥ずかしくならないし…。ヤケクソから出たテキトーって案外いいものです。

ブログのタイトルはハチクロ羽海野チカ先生や、江戸川コナン君もやった、目に入ったものや好きなものから取る奴と同じです。そんなもんで良いんでしょうね。
でも、ハチクロが何かの間違いで「労働なんかしないで光合成だけで生きれなかった人のために」とかになってたら、今風なラノベっぽい異世界に転生してオタク大学生活をする漫画にでもなっていたのでしょうか。

何を選ぶかでセンスを問われる時代だなとも思いますが、そもそも好きなものだけでセンスを測るのも謎ですよね。それのどこがどう好きなのか訊いてからでないと、何となくのイメージで「ほーん、この人はWANIMAとか三代目が好きなんだ、合わないわー無理」となってしまいますよね。
まぁでも多分合わないとは思いますが…笑
それでも何処が良いのかを尋ねてみるのはいいことですよね。何かの魅力を語れる人ってそれだけで魅力的です。最近はネットで熱く語る人も嫌われたり笑われがちですね…。(そもそもオタクはそうとも言えますが)語るのにも知識や表現力が無いと、単なる痛い奴wと笑われるだけですからね。別にブログでぐらい良いだろとは思いますが。私は何と戦っているんだ。自意識過剰ライジングさせたり揶揄してる暇があるなら夢中になれるもん探せ!と思います。

あと名前を決められない私にセンスがないのは明白なのですが、名前を決めるのが上手いな〜と思う人はセンスというよりも、普段から周りをよく見て独特の言語感覚を磨いている人が多いなと思います。わかりませんが。

ブログって終わり時がわかりませんね。
テーマを決めない見切り発車だからなのですが、最終的な結論としては、テーマを決めるために言語感覚を磨いていくぞ!ということになりました。

色々とテーマにしたいことはあるのですが、全てまとまらないので、そのうちどっかへ行ってしまうんですよね。で、また戻ってきて何かと繋がったりして、一人合点したり…。
そういうのをブログにまとめたかったのですが、それすらまとまらない。

まとめ
まとまらない

終わり。
また明日、ブログでお会いしましょう。

何か悟ってそうなことを言え

こんばんは
毎日、ブログを書きたいなと思っています。とりあえずテーマが無いと纏まらなくなりそうなので、考えているのですが、何を書いてもタイトルの通り、わかりもしないことについて何か悟ってそうなことを書いてしまう気がしてテーマが決まりません。

そういえば自己紹介が遅れましたが、特に紹介するほどの自己を持ち合わせていないのでしません。(読んでたらわかるという身勝手な期待)

タイトルや名前からわかる人はわかると思うのですが、syrup16gのファンです。
解散後にファンになり再結成後からライブに行くようになったファンなので、あまり深いことはわかりません。特にこれについても、また後々書いていきたいです。

ブログとかツイッターやってると、ついつい何か悟ってそうなことばかり書いてしまうのですが、考えたところでたかがしれてるというか、何を書いても(自他共に)突っ込みを入れられて永遠に納得できるものなんて出来ないよな〜とか思うんですよね。無能の完璧主義ほど苦しいものはありませんね笑。

でも、その俊巡を乗り越えて覚悟を決めて何か書かないと作文は書けないって最近読んだ中学生向けの本に書かれていました。
ちなみにもう成人してます。

覚悟を決めて書こう!とするとだいたい日和ってしまうんですよね。人にどう思われるかを気にしすぎなんですよ。でも例えば少し前に大流行した「嫌われる勇気」を読んで感銘を受け、感想をいざブログに書こうとしても、たぶん私は覚悟が決まらないと思います。
というかそもそも嫌われる勇気って言い訳するな!みたいなことを書いているらしいので、言い訳がましい私はレビューでの紹介文を読むだけで言い訳を考えてモヤモヤしてしまうため読んでません。
腹をくくって、ハッキリきっぱりさっぱり生きるぜ!って人はカッコイイな!とは思いますが、私がそれになれるともなりたいとも思えないので、自分を甘やかしています。

駄目ですね…

今のところ、こんなこと書いて何になるんだ、ということしかブログに書いていないし書くつもりもありません。


あと最近、水野しずさんという方が話している動画を見ていて、素直さと正直さをまぜこぜにして、何でもかんでも正直に率直に言うことが「THE 嫌われる勇気!」と思っている連中は嫌いだなと思いました。

嫌いだと勇気を出して書いてみました。

こんなブログ書いてる奴に嫌われても痛くもかゆくもないと思いますが。とか予防線をいちいち雑魚ブログのくせに張ることにも余念を欠かしません。そんな手間あるなら面白くしたいものですが、本当に私はつまらないので、作り笑顔よろしく作りオモロをブログでやっていくうちに本物オモロになったら良いなとかおもってます。甘いですね。

あと学生時代、色々と問題のある人たちの通う学校に通ってたので、そういうような発言を発達障害のある子だから〜と先生が取り持つのを見ると、そっか…と思いつつ何でもかんでも言っていいものではないよな〜と思っていたのですが、結果的に私がそういう思ったことを言わざるを得ない感じに頭がバグってしまいましたね。今では。
ありがとう。正直に思ったことを言っちゃう人。
とか書くと本当に色んな人に嫌われるというか、顰蹙をかいそうで怖いですね。
そもそも私もそういう傾向があるため、普通に嫌われ、孤立し性格が内向きになり、言いたいこと言えるだけ力を持った人たちから、あれこれ言われ続けた結果、貯め込んで爆発してしまったわけですが、こんな言い訳なんて誰も聞きたくなかろう。そもそもこんなブログなど誰も……

など言ってしまいましたが卑屈は辞めます。

それに発達障害でも色んな方が居るのはわかっています。ただ、発達障害に限らず、思ったことを言ってしまう傾向がある人が失礼なことを言ってしまった時に、障害を盾にしたり、個性だから〜と本人や周りがフォローするのは、嫌われるというか、周りに我慢させてるし、本人にも良くないですよね…って言いたいけど、言ったところで聞く人も居ねぇよな〜という、やるせない思いを書きたかっただけです。やるせない思いは焼却炉に放っておきますが。

なんだかまとらない内容でしたが、とりあえずここらで終わりにします。
また明日。ブログで会いましょう。
読んでる人いるのか知らないですけど。

PS.ちょっと足りないなと思った部分を変更しました。

絶対安全の絶対って何

はじめまして

ブログを始めてみようと思いました。
常日頃、頭の中に浮かぶことが纏まらなさすぎるため、暇さえあればツイッターで長文を書き連ねる隙あらば自分語り人間になってしまうため、もうブログで思い切り書き連ねてしまおうと思いました。

ブログのタイトルは思いつきです。
名前を決めるのが苦手です。

とりあえず続けてみよ〜と軽い気持ちで始めてみます。