アカウントを消して仮想的に自殺する
こんばんは
さっき書いたばかりですが、一日分抜けてしまったのと、今日は疲れてブログを書く気力が無さそうなので、また書きます。
自己紹介とかしたほうがブログ見てくれるのだと思いますが、例えば私はこういう仕事をしていて、これが好きで、こういう病気があって〜などのことを列挙して同じ人を見つけて繋がりたいわけではないので、今のところは趣味や思考をダダもらせにする程度にしておきます。(それでもかなりリスキーですが)
前置きはさておき。
タイトルにしたのは大森靖子さんの流星ヘヴンの歌詞ですが、この感覚はイマドキのメンヘラ感が強くて良いですよね。
私もアカウントを消しては復活して消しては復活してインターネットの人間関係を綱渡りしています。網渡りか。
なので、深くネットで知り合って友達になった人がいません。人間関係を切ってしまうので。
今の私と同世代ぐらいの人はネットと現実が地続きになっている人が多数派だったりして、幼い頃からネットにハマっていた私からしたら、現実の私をネットに不用意に見せる
ことが怖いです。ってことをネットに書いてしまう自意識は、とても現代っ子ですが。
道端で昔の知り合いなんかに会ってしまったら、ラインだのフェイスブックだのすぐにネットでも繋がろうとしてくるので怖いです。
今の時代、アカウント持ってないというのも嘘くさいですし。作ればいいじゃんと言われそうですし。
あとブログ書いていて思うのですが「隙あらば自分語り」ってネットスラング(なのか?)が嫌いです。
そんなにユーチューブやブログやTwitterで自分語りを見たくないなら、ちゃんとした(学術的な)本を読んだり、DVD買うなり、(趣味で繋がるような)マッチングアプリでもしなさーい!
と思います。
でもでも、人って何がしたいかっていうと、最終的には自己表現(自分の好きな行動を取ることだって自己表現だと思います)だと思うので、自分のことを語らずに何かを語るのって、誰にでも出来るんですよね。君の代わりはいくらでもいる可能性の高さは、自分語りする人よりも高いです。
とか、こんな人の歌詞や意見を借りてるような、どっかで見たことあるようなことしか書いてないブログの人に言われても…ねぇ…と思われそうですが。
隙あらば自分語り〜と言ってる人は信用してはいけないと思いますね。それだけ自分のことを開示しない(上手く偽る人もいますが)ということは、都合よく操れる人を探している可能性がありますので。
隙あらば自分語りしなさーい!
考察しなさーい!
熱いね〜!とか頭いいと思ってそう!とか言われても、そんな連中は自己開示せずに他人から承認されたい(利用したい)という奴か、ただ揶揄をするだけの集団に帰属することでしか満足度を得ることしか出来ない奴です。
でもインターネットは基本的に悪意が蔓延りやすいし、それをユーモアという丸い言葉に言い換え、獲物(おもちゃ)を探して飽きたらポイする残忍なゾンビ達が跋扈していて、そいつらに取り憑かれやすい環境なので、そういう人にはならないように気をつけなさーい!
なってしまったとしても、それを抑えつけていれば何とかなります。たぶん。私もそのゾンビ成分があるから、隙あらば自分語りという言葉にムズムズしてしまうのです。
とにかく、他人の自意識をもてあそぶ人に良い人はいません。(キリッ)
↑この(キリッ)っていう自虐も良くないですよ。自意識はねじまがったら最後です。どれだけそこから曲がらないように食い止められるかでしかありません。悲しいことに。
というわけで、書きたいこと書いたので終わります。
また、ブログで会いましょう。