絶対安全剃刀乙女

思ったことを書き連ねるブログです

学校に行きたくない

こんにちは
珍しくブログを昼に書きました。
学校に行きたくないですね。
もう私自身は学校に行くような年ではないですが。
ふと「働きたくない」とか「外に出たくない」という感覚を言葉にしようとすると「学校に行きたくない」って言葉が出てきます。

それだけ学校ってものは社会の縮図なんですかね…体に叩き込まれているんですよね…。
本当に本当に嫌ですね…。

私はほとんど学生時代を不登校(通っていた時もありますが)で家で勉強したり保健室やフリースクールのようなところに行って過ごしたので、学校に無理して通っていた人や今も無理して通っている子をみると、凄いな…という気持ちになります。
同時に、そういう人から「私は休みたくても休めなかった」や「行かないほうが楽だった」などと羨ましがられたり嫌味を言われるのは仕方ないのですが、少しビクビクします。

頑張って行っている人に対しては、上手く周りから援助を受けられるように手配してもらうか(これは逃げじゃないです、大人もやってます。卑怯だと言われないようにパワーバランスで黙らせてる人が多いです)
自分のことを信用できる好きなものを見つけて、さっさと学校とかいうクソみたいなシステムから抜け出すのが良いと思います。


あと、すでに学校に無理して通っていた人から何らかの僻みっぽいコメントを言われることに対して思うのですが、そういう学校に馴染めなかった人って、学校に行っていても行かなくても実際あんまり変わらないと思いますね。どっかしら社会に適合できない部分があるので、いつまで経っても不満足なのでは?と思います。
(それでも行かなければ良かったと思う人は、そうなのかもしれません…色々な事情があるとは思うので)

あと、無理に通っていた人と通えずに休んでいた人という弱いもの同士でマウントの取り合いや嫉妬をするのも嫌なので、そういう差異を感じると、めんどくせぇ〜と思ってしまいます。
そもそも学校に行けなくなる(行きたくなくなる)理由として(学校の勉強や体調的についていけない等は除いて)大抵は先生や生徒との揉め事で学校に行きたくなくなるものが多いと思うので、その場合は嫌な気持ちをぶつける場所や人が違うよな〜と思うし、わかっていてもぶつけているのだとしたら、その人は学校に行っても行ってなかったとしても、今の自分が見えていない時点で大差ないと思います。(酷いこと書いてるかもしれませんが、他人のこと僻んでる人って何してもそんなもんですよ、私も僻んでいる時は前に進まず燻ってる自分を持て余しているのに気付いていないだけです)

相手の気持ちを全く考えずに自分の立場しか見えていない人や時期ほど(余裕がないのはわかりますが)建設的な問題の解決を放って、安易なほうへ責任追及したり、開き直って誹謗中傷しますので、そうなる気持ちは、わからなくもないですが、辞められるなら早いうちに辞めようね〜と思います。そういう気持ちは癖になるので。

嫉妬とか劣等感も、自分のために使えるようにすれば割と楽しいと思うのですが、なかなか難しいですね。「向上心ややる気は出したら出るものだ!」とか言ってる人もいますが、体調や精神弱めの人にはあんまりその理論は当てはまらないと思っていますので、ゆっくり着実にやっていくしかないですね。基本的に健常者の理論はあてにしないようにしてます。あと反論もしたら駄目ですね。うるさいので。

ちょっと最近はトゲトゲした内容になってしまってますが、もう少し穏便に言いたいですね。

そんな感じで終わりにします

またブログで