絶対安全剃刀乙女

思ったことを書き連ねるブログです

相変わらずわけのわからないこと言ってます

こんばんは
東京の街に出ても引っ込んでもわけのわからないことばかり言ってます
くるりはメンバーも音楽スタイルもどんどん変わっていくのに私は何もかわれず、くるりの青写真という曲を思い出します。

脈略ないですけど、某トイレのカレンダー詩人の作品に「一生勉強 一生青春」というのがありますね。あれ、別に嫌いではないんですけど、見るたびに青春ごっこを今も続けながら旅の途中〜って脳内で流れ出すんですよね。
青春って、やっぱり思春期に経験するから良いものとして残るのだし、後々の人生に影響を与えていくと思うんですよ。
だから某トイレカレンダー詩人の方は「青春」ではなく「青春ごっこ」だよねと揚げ足を取りたくなってしまいたくなります。

そんな「青春ごっこ」を辞められないので、わけのわからないことを喚き散らすだけのブログを書いているのですが、そういう青臭い言葉や青臭い感性を心底バカにしているくせに何か言おうとすると結局青臭いことを書いてしまう青春ゾンビ(この名前のブログがありますね、面白いですよね…)として生き残っているのですが、はやく大人になりたいものです。(いや、大人なのですが)

小さい頃は反抗期がある人って大人になりたくねぇ!とか言ってましたけど、そういう人ほど素速く酸いも甘いも味わえる青春を経験して大人になりやがりますよね。
それで、反抗せず大人にしたがって、はやく大人になりたいものだとワクワクしていた人ほど子供の頃のことを引きずって青春ゾンビになるということがしばしば…。

むしろ青春なんてしたくないんじゃーー!と某トイレカレンダー詩人に対して思いますし、これ以上、青春に憧れる人間を増やすな
と思います。青臭いことばっかり言ってる大人って子供から見るとカッコよく見えちゃうんですけど、同じ年になってから考え直すと、単なる中身が成長していない人だったりしますからね。悲しいことに。今そうなってますが。

あまり関係ない話になるのですが、体調が優れない時に近所の漢方の店に行ったんですよね。そしたら、そこが某トイレカレンダー詩人の作品をそこらじゅうに貼っている尖りちらした薬局で、結構ひいたんですけど、漢方を処方してくれた薬剤師のおばあさんもだいぶ尖りちらしてまして、すこぶるスパルタカスな人生指南を頼んでもいないのにしてきたんですよ。まぁ、テキトーに聞き流そ…とか思っていたら、そういう態度を察知したのか、あなたには漢方はだせないです。と言われ、体調不良もやることやってないのが原因だと言わんばかりに(確かにやることやってないというのは一理ありましたが体調が悪いのとは全く関係ない)怒られたんですよね。それで私驚いてしまって言い返しもせず叫びもしなかったんですけど(当たり前ですね)普通に何故だせないのですか?と聞いたら、同じ説教をときだして、ヤバイなと思ったんですけど、もう遅く、そのおばあさんは勝手にヒートアップしてて、出ていってくださいと言われてしまい、そのまま泣く泣く出ていって、その店は行ってないんですけど、本当に嫌な思ひでです…。

某トイレカレンダー詩人の作品を見るたびに、そこの薬剤師を思い出してしまいます。
こういう言葉は、なるべく使いたくありませんが、さすがに傷ついたので言わせてもらいます。

この青春ババアめ。
この一生青春ババアめ。


私は一生青春おばあさんにはなりたくないです。
ちゃんとした大人になります。
反面教師代としてお金と情報を差し出しただけです。あなたも青春を終わらせられると良いですね。お互いの幸せを祈ってます。

なんて思ってもないけども、強さと優しさを持った無難なことを書けるようになれたら大人なんでしょうか。いや、大人はもっと青春なんかより面白くて辛くないものだと思いますよ。とかまたテキトーなこと書いてます。

では、ここらへんでおわりにします
また、ブログで。

テレビ漬け玩具漬け そんな感じで一日終わっちまうんだ

こんばんは
いざブログを書こうとすると何を書けばいいのか迷ってしまう。
タイトルはエレファントカシマシの「友達がいるのさ」という曲からとりました。私には友達はいません。常時募集中です。(流石に利用しようとしたりサンドバッグにするような嫌な方も居ますので、それはこちらで選考させていただきますが)

それはさておき、この曲はエレファントカシマシ野音で必ずやる(東京中の電気を消して夜空を見上げてぇな、という歌詞があるため)曲なのですが、最後らへんで「歩くのはいいぜ〜」という歌詞があって、追加される部分が好きです「走ってもいいぜ〜」「立ち止まってもいいぜ〜」「なんでもいいぜ〜」等あるのですが、良き散歩ソングになっています。(友達は居ませんが)

「友達がいるのさ」の友達はもちろんメンバーのことを言っているのだなぁとは思うのですが、勝手に私はこの曲を、これから外に出て「友達(になれるやつ)がいるのさ」という解釈にして、聴いています。(友達がいないので)

いや、クドクドと友達がいないアピールしてしまいましたが、実際は友達(のような存在)が出来ると関係を維持するのがどんどんしんどくなっていくので、やっぱり居ないほうが気楽だな〜となるんですよね。
でも、居ないと居ないで何か見たときに気軽に感想を言ったり、くだらない会話をしたり、最近の流行りや近況について情報交換しあったりすることも出来ないので、色々と不利だなと思います。

しかし、不利だから友達が欲しいという理由も不純だな〜と思いますし、そもそも友達は欲しいと思って作るというより、友達になっているという関係のほうが長続きすると思ってしまっているので、半ば諦めています。

とりあえず歩くのはいいぜ〜…と思いながら友達や恋人や親子連れの人混みを歩いて強く生きていきます

では、何か書かないと駄目かなという気持ちで書き始めましたが、特に書くことが無さ過ぎたので終わります。
またブログで

本当のことばかり言う人を信じない

こんばんは
自己顕示欲だけで稼働するブログです。

突然ですが「本当のことばっか言ってんじゃねーよ!」

と、某国営放送の人気番組に出てくる幼児の皮をかぶったおっさんのような悪態をついてみたくなった。

そもそも本当のことって何なんですかね。哲学者じゃないので、真理を追い求める気は一切ないのですけど、「本当のこと」を言う人は偉い!みたいな風潮ありますよね。

その「本当のこと」っていうのは大抵が、誰かを傷付けるような(誰かから見た)事実だったり、理屈やデータをこねくり回して感情を理論武装したものだったりします。

いきなりですが、この世は弱肉強食と言う人が居ますが、むしろ適者生存のほうが人類としての歴史から見たら合っているのであって、強いものが必ずしも勝ってきたわけではありません。なので自分にとって都合よく考え便利に生きることのほうが強さという一つの価値基準より大切になる場合もあり、その過程で周りの弱いものが蹴落とされるということはあるかもしれませんが、基本的に自分にとっての快適を求めるのが生物にとって当然の生存本能であり、それは弱肉強食というよりも、適者生存という考え方のほうが適していると思っています。
なので、すべての人にとって「事実」や「本当のこと」なんてのは、自分にとって都合よく思える理屈や理論でしかないのです。

……とかなんとか、あまり理屈が上手くないのでベコベコな屁理屈をこねてみましたが、反論は認めまくります。というかこれを読んで反論が出たほうがたぶん正しいです。

というか、私が言いたいのは最後の二行だけで、生存本能とかどうでもいいんですよ。ただそれっぽく思わせるためのとってつけただけの理屈です。生物のうんたらかんたらとかも浅知恵並べただけのゴミ理屈です。詳しい人が見たらボコボコにされると思います。
ただ、屁理屈ならべればそれっぽいから簡単に騙される人もいるということです。

本当のことなんて常に変化すると思っています。(真理は変わらないと言う人も居ますが私は哲学者ではないので、そういう話はしていません)適者生存、諸行無常、流動的、多様性が大切で、相対的な世の中です。
また、それっぽい言葉をテキトーに並べています。
本当のことを言ってるっぽく見せてます。
わかってる感(浅いですが)を出してます。

こういうのを見た人が、共感(気持ち悪い言葉…!)した時に、擁護の言葉として「真実だから仕方ない」とか、「本当のことを言ってるから反感を買うのも当然だ!」とか「事実を言われたから怒るのだろう」とか言ってる人たち、そこそこ居ますよね。そういう人は共感できる同じ考えなら、そりゃあ認めるし怒るわけないだけなんですよ。そういう人って共感できない意見には超絶シビアですからね…。

でも、そんなもの信じて本当のことだとか言っちゃうのってどうなん?って思いますけどね。人の勝手だとは思いますが。

本当のことって誰から見た視点だよ?とか、客観的視点ってそもそも誰目線だよとか、データの切り取り方やソースの由来とかちゃんと考えも調べもせずに、本当のことだから!とか言ってるの笑えますよ。とか言ったら悪意がありますかね。すみません。そういう人が嫌すぎたので。

このブログも何も調べもせずに書いています。
怒るヒトなんて居ないとは思いますが、婚○コンサルタントみたいな人や自己啓発的な人を擁護する人は、もうちょっと頑張ってほしいなとか上から目線で勝手なこと思ってます(対象者を言ってしまった)

本当のことを言ってるつもりの人は、頑張らないでほしいですけど。自分にとって本当のことは大切にしてほしいのですが、他人にそれを押し付けたり、喧伝するような人にろくなの居ません。このブログがそれを証明してます。騙してでも味方をつけたら勝ちな商売や世界って嫌ですね。善意で舗装されているとかなんとか言うけど、善意は他者から見たら悪意にもなり得るものだと気付いてないだけですよね。悟った風味のつまんない言葉ですよね。

匿名性にしても名前を出しているにしても、本当の(もっともに聞こえる)ことばっかり
言ってると言いながら炎上したり、人を傷付けているような方々は、とりあえず後に引けなくなっているのかな〜と思うことが多いので、まぁ頑張ってください。(さっきと言ってること正反対だよ)

なんかめんどくさくなってきたので、ここらへんで辞めます。私も本当のことをこれからも頑張って書いていきます。

真理なんてデタラメ!勇気なんて出さないでくれ!というシロップの五十嵐さんの言葉に共感(気持ち悪い言葉!)しているためこんなブログを書いてしまいました。トゲがある部分に関してはすみませんね。またあとから直すかもしれません。

では、またブログで

君を退屈から救いに来たんだ

こんばんは
もう4月も半分過ぎたのに暖かくなったり寒くなったり安定しないですね。自律神経ガタガタになります。

近況…さらざんまい二話を見ました。カワウソの曲バビりましたね。最後の展開はOPから何となく醸されていましたよね。でもまさかあんなに直接的なことをするとは…。
それと公式サイトのぷれざんまいを聞いています。面白いです。
今期のアニメは、さらざんまいとキャロル&チューズデイとPSYCHO-PASS(再放送)(二回目)しか見ていないのですが、アニメをちゃんとリアルタイムで見始めたのが、ここ三年前くらいからなので、こういうふうに「今期のアニメ」みたいな概念で語ることを知らなかったのですが、いやぁ〜アニメって本当に面白いものですね…。

前期はモブサイコⅡがとても良かったです。動きも演出もシリアスとギャグのバランスも全て心地よいアニメでした。見てない人は見たほうが絶対に良いです。最初は単なるギャグアニメか〜合わないな〜等と思っても騙されたと思って見てください。詐欺師が出てくるアニメなので絶対に騙されません。

アニメについて語れるほど知らないので突然の自分語りになってしまうのですが、アニメを定期的に見るまでは、アニメはアニメ映画(ジブリとか有名なアニメ映画監督のもの)ぐらいしか見ず、基本的に動画媒体のものは二時間ほどの洋画邦画を見ることが多かったのですが、理由として「長い物語を複数同時に記憶しておいて定期的に分けて見る」という行為がめちゃくちゃ苦手だったんですよね。毎週必ず時間拘束されるという部分も苦手意識が強かったです。アニメを見たいなと思った時もDVDを借りて自分のペースで一気に見ていました。

ドラマも漫画も小説も基本、一話完結のものや、一冊で完結するものが好きでした。

今もそうなのですが、コツコツと短時間で記憶して消化するスタイルが苦手で、一気に長時間で情報を詰め込めるときに詰め込みまくるスタイルが得意(というか慣れている)ので、アニメという一週間に一回、同じ時間に同じだけの時間拘束されて、少しずつ謎が解けていくのがじれったいんですよね。

多分ですが、これは現代っ子的なのかなと思っているのですが、どうなんでしょうか。

今はネットで見たいときに自分の好きなタイミングで見れるじゃないですか?(突然なれなれしい)
なので、チマチマと一週間に少しずつしか見られないという体験が面倒くさいな〜と思っている人は結構増えていると思うんですよね。
最初は、私自身の問題なのかな〜とか読書が好きだったので、自分のペースで見られる媒体がいいのか〜と納得していたのですが、それと同時に、ネットが普及して、見たいときに好きに見れる環境が出来たからか?とも思えてきました。

アニメを定期的に見るようになってから、逆に二時間の映画や小説を読むのが面倒くさくなってきました…。小分けに見るようになってしまったという。

これは完全に自分のスタイルというより、見る媒体の変化によるものだなと思いました。

なので、一気に何かすることやコツコツと何かすることのどちらかを苦手だな〜と思っている人はもしかしたら、このような受け取る媒体の変化次第で得意なほうが切り替わる可能性はあります。
あと長時間集中すると疲れるとか年齢的な変化もありそうですが…。それにTwitterをよく見るようになって短文に馴染んでいることも影響していそうです。

そんなこんなで、今はアニメをポツポツ見ているのですが、小さい頃はほとんどアニメを見ていなかったので、同世代の人がアニソンの話をしていてもついていけないことが多く、そもそも音楽にも小さい頃は興味が無かった(むしろ何に興味があったんだ)ため、オタクトークも最近のアニメについてしかわからない(しかも浅い知識しかない)という中途半端な奴です。それが何とも辛い。

アニメオタクに限らず、趣味で繋がる人って、知識マウントやファン歴マウントや資本マウントを取ってくる人がどのジャンルにも居ると思うのですが、それがしんどい。
あと、そうじゃなくても、知らないこととかを勇気を出して聞くと「えっそんなのも知らないのかよ」みたいな反応が返ってくるのが怖くて、知識マウントとられないために、めちゃくちゃ趣味なのに勉強とかしていくようになってしまうのが嫌です。もう愚痴になってきました。

マウント取られても「好きなもんは好きだし!」と思えるようになりたいですが、ネットの海で趣味をひけらかすと、色んな人からどれだけ知ってるか、いつから好きか、どれだけお金かけてるか、等などの目線でヲタ査定され、接し方を露骨に変えられるので、好きという気持ちが揺らぎやすいですよね…

欲望を手放さないためには好きで繋がるのを最初から諦めている人は居ますけども、やはり大切なのは、まだまだ足りないけど好きな気持ちは本当だから、それを知識や金や数値化出来るなんやらに左右されないぐらいの強度として結果を出すしかないんだろうな…と思ってはいます。

自分なりの好きという表現を模索中という感じです。なかなか出ないし、口ばかりな人に見えますが(実際そうですが)数値化される趣味は、あまり素敵でないなと思いました。


とりあえず退屈さを感じても、すぐに数値化できる趣味のグループには入らないようにしたいなとも思いました。なんだかまた、まとまらない話になってしまいました。ので、ここらへんで終わりにします。


では、またブログで。

文字化けの中にも 輝く運命を知る

こんばんは
毎回タイトルを歌詞にしようとしてしまったので、ウォークマンをシャッフルして出てきた曲のそれっぽい歌詞をタイトルにしてる、それっぽいだけのブログです。

私は前にシロップのファンと書きましたが、シロップはそこそこのファンなので全曲解説とか書けと言われたら書きますが(自主的に書けるほど詳しくはない)スピッツはゆる〜いファンなので、アルバムは三枚ぐらいしか持ってなくてあとはレンタルというレベルです。

スピッツの歌詞は直接的な表現が少ないため、曲のタイトルをググると、解説や意味という言葉が関連ワードに出てきますね。

私はこういった、すぐに意味をググりたがる現状をあまりいいとは思ってないのですが、他人の考察や解釈を見るのは好きなので、自分で答えをある程度出してからググるというのは、よくやっています。

少し話がそれますが、私が高校生の頃にボカロが流行りだし、最初のキャラソンっぽいものやカバーやポストミック(ミクトロニカとかありました…)等の音楽やキャラを好きな人たちが作った曲を楽しく聴いたり動画を見たりしていたのですが、だんだん物語風の曲や難解な曲が増えてきてから、そういう解釈を求める人たちが増えてから、ちょっと遠巻きになってしまいました…

考察自体は好きなめんどくさいオタクなのですが、そんな解説いる?と思うような曲まで「これはこういう意味で〜」というコメントが書かれていたり、この曲にそんな物語込めてる?と思うようなことが多かったのですが、それも一つの自分語りや自己表現なんだろうな…と思って見ていました。


と書いてきて、「隙あらば自分語り」という言葉が嫌いだとか書いておきながら、やっぱり隙あらば考察したり自分語りしてる人たちが嫌いなのではないか!と思われそうなのですが、解説になってない解説や関係なさすぎるものは確かに「自分語り」と呼ばれても仕方ないか…とは思いました。

曲解釈や作品解釈をブログに書いてみたいのですが、いやその解釈はどうよ?とか、もうその解釈はみんなわかってるでしょ〜みたいに思ってしまう私がいて、なかなか書き出せませんね。とりあえず次から曲解釈とか感想みたいなこと書いていけそうだったらやってみます。

では、とりあえず終わります。
スピッツは、もっと聴き込んでいきます。
初音ミクはもう今はどうなってるのかしりません。

では、またブログでお会いしましょう

学校に行きたくない

こんにちは
珍しくブログを昼に書きました。
学校に行きたくないですね。
もう私自身は学校に行くような年ではないですが。
ふと「働きたくない」とか「外に出たくない」という感覚を言葉にしようとすると「学校に行きたくない」って言葉が出てきます。

それだけ学校ってものは社会の縮図なんですかね…体に叩き込まれているんですよね…。
本当に本当に嫌ですね…。

私はほとんど学生時代を不登校(通っていた時もありますが)で家で勉強したり保健室やフリースクールのようなところに行って過ごしたので、学校に無理して通っていた人や今も無理して通っている子をみると、凄いな…という気持ちになります。
同時に、そういう人から「私は休みたくても休めなかった」や「行かないほうが楽だった」などと羨ましがられたり嫌味を言われるのは仕方ないのですが、少しビクビクします。

頑張って行っている人に対しては、上手く周りから援助を受けられるように手配してもらうか(これは逃げじゃないです、大人もやってます。卑怯だと言われないようにパワーバランスで黙らせてる人が多いです)
自分のことを信用できる好きなものを見つけて、さっさと学校とかいうクソみたいなシステムから抜け出すのが良いと思います。


あと、すでに学校に無理して通っていた人から何らかの僻みっぽいコメントを言われることに対して思うのですが、そういう学校に馴染めなかった人って、学校に行っていても行かなくても実際あんまり変わらないと思いますね。どっかしら社会に適合できない部分があるので、いつまで経っても不満足なのでは?と思います。
(それでも行かなければ良かったと思う人は、そうなのかもしれません…色々な事情があるとは思うので)

あと、無理に通っていた人と通えずに休んでいた人という弱いもの同士でマウントの取り合いや嫉妬をするのも嫌なので、そういう差異を感じると、めんどくせぇ〜と思ってしまいます。
そもそも学校に行けなくなる(行きたくなくなる)理由として(学校の勉強や体調的についていけない等は除いて)大抵は先生や生徒との揉め事で学校に行きたくなくなるものが多いと思うので、その場合は嫌な気持ちをぶつける場所や人が違うよな〜と思うし、わかっていてもぶつけているのだとしたら、その人は学校に行っても行ってなかったとしても、今の自分が見えていない時点で大差ないと思います。(酷いこと書いてるかもしれませんが、他人のこと僻んでる人って何してもそんなもんですよ、私も僻んでいる時は前に進まず燻ってる自分を持て余しているのに気付いていないだけです)

相手の気持ちを全く考えずに自分の立場しか見えていない人や時期ほど(余裕がないのはわかりますが)建設的な問題の解決を放って、安易なほうへ責任追及したり、開き直って誹謗中傷しますので、そうなる気持ちは、わからなくもないですが、辞められるなら早いうちに辞めようね〜と思います。そういう気持ちは癖になるので。

嫉妬とか劣等感も、自分のために使えるようにすれば割と楽しいと思うのですが、なかなか難しいですね。「向上心ややる気は出したら出るものだ!」とか言ってる人もいますが、体調や精神弱めの人にはあんまりその理論は当てはまらないと思っていますので、ゆっくり着実にやっていくしかないですね。基本的に健常者の理論はあてにしないようにしてます。あと反論もしたら駄目ですね。うるさいので。

ちょっと最近はトゲトゲした内容になってしまってますが、もう少し穏便に言いたいですね。

そんな感じで終わりにします

またブログで

アカウントを消して仮想的に自殺する

こんばんは
さっき書いたばかりですが、一日分抜けてしまったのと、今日は疲れてブログを書く気力が無さそうなので、また書きます。

自己紹介とかしたほうがブログ見てくれるのだと思いますが、例えば私はこういう仕事をしていて、これが好きで、こういう病気があって〜などのことを列挙して同じ人を見つけて繋がりたいわけではないので、今のところは趣味や思考をダダもらせにする程度にしておきます。(それでもかなりリスキーですが)
前置きはさておき。

タイトルにしたのは大森靖子さんの流星ヘヴンの歌詞ですが、この感覚はイマドキのメンヘラ感が強くて良いですよね。
私もアカウントを消しては復活して消しては復活してインターネットの人間関係を綱渡りしています。網渡りか。

なので、深くネットで知り合って友達になった人がいません。人間関係を切ってしまうので。

今の私と同世代ぐらいの人はネットと現実が地続きになっている人が多数派だったりして、幼い頃からネットにハマっていた私からしたら、現実の私をネットに不用意に見せる
ことが怖いです。ってことをネットに書いてしまう自意識は、とても現代っ子ですが。

道端で昔の知り合いなんかに会ってしまったら、ラインだのフェイスブックだのすぐにネットでも繋がろうとしてくるので怖いです。
今の時代、アカウント持ってないというのも嘘くさいですし。作ればいいじゃんと言われそうですし。

あとブログ書いていて思うのですが「隙あらば自分語り」ってネットスラング(なのか?)が嫌いです。

そんなにユーチューブやブログやTwitterで自分語りを見たくないなら、ちゃんとした(学術的な)本を読んだり、DVD買うなり、(趣味で繋がるような)マッチングアプリでもしなさーい!

と思います。

でもでも、人って何がしたいかっていうと、最終的には自己表現(自分の好きな行動を取ることだって自己表現だと思います)だと思うので、自分のことを語らずに何かを語るのって、誰にでも出来るんですよね。君の代わりはいくらでもいる可能性の高さは、自分語りする人よりも高いです。

とか、こんな人の歌詞や意見を借りてるような、どっかで見たことあるようなことしか書いてないブログの人に言われても…ねぇ…と思われそうですが。

隙あらば自分語り〜と言ってる人は信用してはいけないと思いますね。それだけ自分のことを開示しない(上手く偽る人もいますが)ということは、都合よく操れる人を探している可能性がありますので。

隙あらば自分語りしなさーい!

考察しなさーい!

熱いね〜!とか頭いいと思ってそう!とか言われても、そんな連中は自己開示せずに他人から承認されたい(利用したい)という奴か、ただ揶揄をするだけの集団に帰属することでしか満足度を得ることしか出来ない奴です。
でもインターネットは基本的に悪意が蔓延りやすいし、それをユーモアという丸い言葉に言い換え、獲物(おもちゃ)を探して飽きたらポイする残忍なゾンビ達が跋扈していて、そいつらに取り憑かれやすい環境なので、そういう人にはならないように気をつけなさーい!
なってしまったとしても、それを抑えつけていれば何とかなります。たぶん。私もそのゾンビ成分があるから、隙あらば自分語りという言葉にムズムズしてしまうのです。

とにかく、他人の自意識をもてあそぶ人に良い人はいません。(キリッ)

↑この(キリッ)っていう自虐も良くないですよ。自意識はねじまがったら最後です。どれだけそこから曲がらないように食い止められるかでしかありません。悲しいことに。


というわけで、書きたいこと書いたので終わります。
また、ブログで会いましょう。